“僕”を書いてもらった。

心震える文章を友人から頂きました。

 

宇佐美 智隆 さん /会社員・ライター(僕が勝手にそう思っている)

https://www.facebook.com/tomotaka.usami

 

自由を掴むために独立することがある種のブームになってる中、

 

会社員という枠組みの中で試行錯誤し、自由を体現するような

僕の大好きな生き方をしている方。

 

僕も入っている、

Life Style Design Camp( https://lifestyledesign.camp )という、

四角大輔さんのオンラインサロンで知り合った宇佐美さん。

 

彼の文章は、

その人が言語化できない感覚的なものまで言語化されていて、

 

そして本人も気づいていない文章を綴る才能によって

 

文字から等身大のそのものを想像させる文章であると思う。

 

そんな彼に、僕のことを書いてほしいと言ったら、

REAR PROJECTの拾事(ゴミ拾い)に何度も足を運んで

取材に来てくれた。

(自分の大切な有休を使って。)

 

前置きはこのくらいにして、

ぜひ、最後まで読んでほしい。

 

 

 

以下、宇佐美さんの記事の全文

_______________________________

 

【タイトル】「片野健太」という生き方。

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片野健太を三語で表すなら、「酔狂」と「使命」と「リーダー」である。

“リヤカー引いてゴミ拾ってたら面白いんじゃないか”

活動の原点は、バカなことをするのが好きだったから。

高校時代、命をかけていた球技大会が入学した学校にないことを知り、署名を集め直談判。その行動がきっかけで、球技大会は毎年の恒例行事になった。
真夏の一番暑い日に、50キロ以上の道のりを一人で走る。面白がった親戚が集まり、ゴールにはサライが流れ、テープカットが用意されていた。

 

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僕がはじめて片野健太を知ったとき、彼のプロフィールにはゴミ拾いをしていると書いてあった。

最高に、意味がわからなかった。

ゴミ拾いなんて誰にでもできるし、全国に腐るほどボランティアがいる。それに、ゴミなんか拾わなくても、日本はキレイだ。
それと同時に、とてつもなく強烈に、面白いと直感した。

 

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彼が率いるREAR PROJECTの「拾 HIROIGOTO 事」にはじめて参加したときのこと。
僕は、環境問題とか、壮大な活動理念とか、そんなものを期待していた。
しかし、渡されたものはゴミ袋だけ。
共通のユニフォームも、清掃用具もなかった。
ただ、普段の格好でゴミを拾う。
言われたのは、一つのゴミも残さないこと。それだけだった。

原宿の通りに目をやると、決して少ないとは言えない量のゴミが散乱していた。
こんなにもゴミが落ちていることに、僕は正直驚いていた。

普段の生活の中で、街中にゴミがあることなんて、気づきもしなかった。
小さい頃からの道徳や教育で、「ゴミはゴミ箱に捨てるもの」としっかりインプットされてきた。だから、ゴミをポイ捨てするという感覚がそもそもない。
文字通り、僕の辞書の中にはポイ捨てなんてことばはなかったし、道に散乱するゴミやポイ捨てする人の存在は「無いも同然」だった。

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落ちているゴミを拾い、それをゴミ袋の中に入れていく単純作業。
僕は、「こんなことしている自分ってエラい!」と優越感に浸れると思っていた。

結果、何も感じなかった。
充実感すらも。

分かったのは、確かにゴミは捨てられて、ここに落ちており、それを僕たちが拾っているということ。
だが、このなにもないプロセスが僕にはとても酔狂に思えて、なんだかとてつもなく面白かった。

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僕は、なぜゴミを拾うのかという純粋な興味を彼に聴いてみた。

彼の答えは明確だった。
「ゴミを捨てる、ゴミを拾うという誰もが当たり前にすること・できることを、もっと多くの人が問題視したほうがいいんじゃないか?」
REAR PROJECTの活動は、その契機となるのだと。

 

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僕たちは、自分が思っている以上に、選択することに対して無頓着だ。

例えば、今日のランチ。
カレーが食べたくて、カレー屋さんに入る。
僕たちは、自分がカレーを食べることを選択したと思っている。
しかしそれは、カレーではないもの(ラーメン、サンドウィッチ、寿司 etc.)を選ばなかったのと同じことでもある。
でも、僕たちは普段選ばなかったもののことまで考えていない。

 

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僕がゴミをゴミ箱に捨てるのも、なんとなくゴミが邪魔だから道に捨ててしまうのも、両者に根本的な差異はない。
どうやら、僕たちの中には「ゴミ=捨てるもの」の方程式があって、そのプロセスに疑問をさしはさむことはないようだ。
そして、REAR PROJECTがスポットライトを当てているのは、この「ゴミ」と「捨てる」の間にある、「イコール」なんじゃないかと僕は思う。

 

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また彼は、ゴミ拾いをビジネスにするつもりはまったくないという。
そもそも、毎週月曜日の早朝にゴミ拾いをすることなんて楽しくはないし、早くポイ捨てがなくなればいいとも思っている。
ただ彼は「ポイ捨て問題を解決する」ことを誰よりも本気で考えている。

道端に捨てられ、置き去りにされた数々のゴミ。
そこには、人間の弱さと、矛盾と、自分勝手さがある。
本当は、捨ててはいけないことを知っている。街は綺麗な方がいいことも感じている。それでも、捨ててしまう。

そして、一片のゴミには、世界で起きている戦争や、いわれのない差別や理不尽さが表現されている。
人間は、本当にどうしようもない生き物なのかもしれない。

 

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そういう身勝手さを糾弾したり、どうせ無理と諦めるのは簡単だ。
しかし、片野健太は、そんな人間の弱さや矛盾、身勝手さをただ批判するわけでもなく、それを利用しようとするわけでもなく、ただ、自分たちがやるべきだと考え、ゴミ拾いをしている。

それは「こんな身勝手なことは自分たちの代で終わりにして、後世には素晴らしい価値を残したい」という使命感に他ならない。

 

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そして、そんな彼のもとには、ユニークな仲間がいる。

目に見えない人の思いを、美しいビジュアルに変換するデザイナー。

その場に存在する一瞬の、生の痕跡を切り取るカメラマン。

大量消費社会から離脱し、そこにしかない場所を創造する旅人。

仲間の誰もが、その人にしかできない能力を発揮し、価値を生み出している。そして片野健太はその采配を振ることに、とてつもない才能を持っている。

一人ひとりの能力はもちろん、抱えている弱さや、より高位の価値を先読みし、組織という糸を織り込んでいく。
自分が先頭に立つリーダーであり、REAR PROJECTという一家の父親でもある。

そして彼はいま、より多くの仲間を巻き込み、大きなムーブメントを起こそうとしている。

 

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かつて岡本太郎は、自分の職業を尋ねられたとき、「そんなものはない。強いていうなら人間だ。」と答えた。

片野健太もまたそうである。
ポイ捨て問題に真正面から取り組む人であり、ゴミを拾う人であり、リーダーであり、価値を創造する人であり、とてつもなくバカなことが好きな子どもでもある。

そう、それは生き方の問題なのだ。

彼を知るにはどうしたらいいかって?
月曜日の朝、原宿の街に繰り出してみよう。
そこには、片野健太という生き方がある。

 

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